やすみのブログ

オタク雑文

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コロナ禍の昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか

 

こちらは無事に本日、25歳の誕生日を迎えることができましたやすみです

このブログを誕生日を迎えた瞬間に投稿せんと、八畳間の煎餅布団の上で春用毛布をかぶりながらスマホをぽちぽちしております

 

25歳というといよいよアラウンドサーティー人生100年時代の第一コーナーを曲がりきりさぁどこにつけようかというところで御座います

20歳を迎えたときTwitterだか別のブログだかで「こんなハタチになるとは思わんかった」とひとりごちてはいましたが、あの頃ですら5年後不定職者として中洲沿いで畜生以上人間未満の生活を送っている未来予想図は描けていませんでした

17くらいから漠然と"ゆるくレールを踏み外してしまった"という感覚を抱いては時折振り返り「今と比べればあのときはマシだった」と思う今日まででしたが、きっとまた三十路に踏み込んだとき25の今日を思い出し「まだあの頃はマシだった」と思うことでしょう、思うことでしょうじゃないんですけどね、流石にそろそろレールに戻るか新しいレールを敷くかしたほうがいいとは思っています

 

と書いたところで寝落ちし今は4月30日23:50、耳かきのしすぎでここ数日外耳炎を起こしている左耳の調子が最悪すぎてじっとりとかいた汗の不快さで目が覚めました

 

今年は五輪もあるし、さっさとおさまるところにおさまって夏は世間のうかれた空気に身を任せようと思ってたのが懐かしいですね

コロナショックはWW2以来の世界全体の転換期であるという言説を1ヶ月ほど前見たのですが日に日にそれが真実味を増していってると感じてなりません

だからといって俺の人生の転換期になるかはわからないし特に何も変わらず365日後の26歳の誕生日を迎えていてもなんら不思議ではないですね

楽観的でなるようになるさという考え方が今日まで、いい意味でもわるい意味でも自分を引っ張ってきたと思うので今年一年も考えを変えずフワフワと糸の切れたタコのようにやっていこうと思います

 

長々と中身があるようでないことを書いてきましたが、要約すると「誕生日なので祝って」です

 

では✋

 

 

 

流れる季節の真ん中に

下書きにあってエモおもろかったので載せます、以下3月7日に書いた文章

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2019年3月6日、同回生から遅れること一年、大学の卒業が確定した

 

感慨深さも無ければ喜びもない

散歩で国道から外れた路地に入った時に二度とここを通ることは無かろうと思ったぐらいだ

 

一般的な尺度で測るならば僕の大学生活は非常に寂しくつまらないものであろう

大学ではサークルに所属しなかったことで上下との繋がりは無いに等しく同学年であっても交友関係が深いところで両手の指、それなりのところまででも足の指を足せば数えきれる程度の友人しかおらず最後の一年はまともに友人と呼べる人は周りに三人しかいなかった、出不精な上に基本一人で行動することを好み週の半分でも他者と過ごせば人間疲れを発症する僕にとってはちょうどいい塩梅であった

しかしながら地方マイルドヤンキー然としたことを言わせてもらうならばその分"濃い"付き合いはできたのでは無いかと思う、「大学で出来た友人は一生モノだよ」なんて話をよく聞くがあながち間違いではないだろう

 

僕は高校を出るまでの18年間、島という閉鎖的な環境で生きてきたのだがこと人間関係に絞るなら島というやつは僕にとって最悪だ

田舎の相互監視社会ではあらゆる情報が共有され、大学に通っていた僕のパーソナルな出来事ですら帰省してみると知られてることなんて全く珍しくない、当然出所は僕の友人である

それが悪意をもって行われるのではなく(そうである場合も少なくないが)自然なこととして行われる、人と人の距離の近さは歳を重ねる毎に鬱陶しくなっていった

特に彼ら基準で普通ではないこと(若者でいうなら留学や起業、芸能方面へ進むetc...)の情報は尋常ではない速度で広まり忌避される出る杭は何としても打つ根性にはうんざりしていた

勿論そういう僕の性格を理解してくれるやつや同じような感覚を持ち合わせた友人もいるが、個人間では仲が良くともそういった面ではわかりあえない友人も少なくなかった

 

そういった面で大学で出来た友人は気楽だ、所属する集団やカースト、生まれ育ちの何にも縛られずどこまでいっても個のつきあい、人は社会動物だというなら社会の縁側に座って何も無い外側と隣しか見ていないヤツがいたっていいだろう

 

なんて言いながら4月からは地元に戻って就職する、周りにどう思われようと仲の良いヤツらとひっそりやって2年くらいで再び出るつもりではいる、さあどうなるか

 

 

いい具合に続く文章が思いつかなかったので締めに無理やりはいらせてもらう

大学で何を学んだか、と聞かれるとまぁ何も学んで無いとは言えないが「コレ」と明確に表明できる事を学んだとは正直思っていないしそういう面では学費を出してくれた親父には申し訳ないと思っている

しかしながらこの5年間は人生を良くも悪くも決めた期間となった気がしている、生き方とか自分を知れたこととかクソの役にも立たないけど楽しい趣味や知識とか

あの時ああしておけばよかったといつの間にか思わなくなった、そんな5年間だった

 

書いてみたらエモくなるかと思ったがそんなことは無いな、予約している風俗の魔天使コースの時間が迫っているからここら辺で終わる、ではまた✋

 

 

前回の更新から今日までの間に就職して無職になったやすみです

酔った勢いで久々に筆をとりました

 

皆さんはどんな夏を過ごしましたか?

僕は無職になったことで滅茶苦茶エンジョイできました、小学生以来?もしかしたら人生1ってくらい長時間海で泳いだり、朝まで友達の家でゲームしたり、熟女と出会い系アプリで会ったり、まぁ最高でしたね

ツイッターのフォロワーで全然面白くないけど人が良い主将ってのが地元に遊びに来てくれたのも良い思い出です

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↑主将氏、ヤンキールックなのにキモくてウケる

 

と、筆をとったものの書く事そんなに無いですね

人生の見通しもブログの見通しも立たないまま勢い任せなのが僕の良いところなので許して

 

無職になって生きがいについて結構真面目に考えたんですけど、大真面目に俺は酒を飲んで美味い飯を食べて女性にまだがられて罵倒されるために生きてますね

あといい音楽聞いて友達と酒飲むのもそれらの次くらいには最高です

 

なんてくらいで、424文字

約3ツイート文だしツイートでよかったわ、まぁ長文ツイートで →とかすんのもメモ帳スクショもダサいしたまにはブログ動かしたいからこれでいいや

 

酔っ払いの駄文読んでくれてさんきゅー

 

 

 

 

 

 

ここ最近の日記

どうも、みなさんこんにちは

卒論提出まで10日あまり、追い込みに入らなければならないが一向に手は進まず今年になって見始めた孤独のグルメがシーズン3を終えようとしている今、現実逃避にブログを書いているやすみだ

 

一行空いてこの文章にたどり着くまで1時間ほどのラグがある

実はこの投稿「声優と処女」と銘打って、「なんでお前が人生で出会った中で最も尊く麗しい存在がいままで誰にも言い寄られたことない想定なんだ?最も尊く麗しいから逆に誰も言い寄らなかったと思うのか?ちょっとツイッター見ただけで君の推しの名前を冠した下ネタハンネがいるんじゃないのか?推しの名前 スペース セックスっていれて出てくる悪魔のような投稿はないのか?ていうか処女であることは重要なのか?それって偶像というより生贄っぽくない?なんかこういうことは民俗学とかそういうの詳しくないと書けないな...」みたいなこと書くつもりだった(というか800字くらい書いた)んだけども、あまりにありふれている上に誰も幸せにならない、そしてなによりサンタさんがグリーンランドに実在するようにそういう声優さんも実在するかもしれないのでやめた(にしても処女性への固執の本質的なメカニズムは知りたいのでそういう考察されている人をご存知でしたら教えてください)

ぼくが勝手にファンタジーと思っている現実はそこにあるかもしれないのだ

 

だから普通に最近あったことをいくつかにわけて書く

 

1. SODの女子社員酒場に行った話

12月の頭、久々に東京に遊びに行った

初日の夜に秋葉原で飲むこととなり前々から気になっていたアイデア勝負で諸兄にお馴染みのSODが運営する女子社員酒場へと足を運んだ

詳細はレポで飯食ってる人たちが書いているので端折るが要はSOD作品に出演している女性が店員をしている立ち飲み居酒屋だ

席に女の子がつくキャバクラシステムではなく、かなり簡易的な居酒屋メニューにくわえて店員さんとの交流メニューがあるのだがそれでかい

 

ハイタッチしたり、チェキ撮ったり、密着寸前まで詰め寄られたりできる

 

は?それだけ?

なんだそれ?

 

と思ったあなたはあまりにも想像力が欠如している

"SOD作品に出ている女の子と"ハイタッチしたり、チェキ撮ったり、密着寸前まで詰め寄られたりできる

わかるか?わかるよな?

わかりゃよし、わからにゃ死んでよし

 

その日はホテルに着くなりめちゃくちゃシコった

 

あ、あと値段が安いんだよね、メイド喫茶の類似メニューと同じくらいだよ(感覚麻痺)

 

 

2. カンピロバクター腸炎になった話

2018年12月30日、散髪を終えスッキリした気分で新年を迎えるぞ!と床屋から帰路に着いた僕を謎の寒気が襲った

家に帰って熱を測ると微熱があったので連日の徹夜や飲酒で軽い風邪気味なのだろうと踏んだ僕は最高の正月を過ごすためその日を生贄に捧げることを決め昼間から布団に潜った

夕方、尋常じゃない腹痛で目がさめる、トイレに駆け込み出すものを出しても一向に治らない、胃腸からからタイプの風邪かよとげんなりして風邪薬を飲むも腹痛は続く、胃腸薬を飲んでも続く、疲れ果てて眠ることも許されず続く

そして気付く、風邪ではないぞ、と

考察する、そしてたどり着く、3日前に食べた鳥のキモ刺に当たった可能性、ググるカンピロバクターなる菌が鳥刺に潜むことを知る、潜伏期間は2〜4日、症状は微熱とともに下痢、ビンゴッ!!!!

 

というわけで鳥刺にあたった、俺の正月はパーである、年末特番を見る元気もわかないし帰省した友人たちとゆっくり話すこともできなかった、めちゃくちゃ好きだけど二度と食うことは無いだろう、怖いし、このブログを書いている2日前まで延々腹が痛かった、痛みも排便を促すそれとは異なる内側からグサグサと刺すようなもので人生で初めて味わうものだった、二度と御免である

当たるときは誰でも当たるみたいなのでみんなも気をつけてね

 

3. 痩せようと思った話

太った

 

いや元々デブやんけ!なんて言わないで

 

昨年ダイエットに微妙に成功した僕の体重は87kgまで落ちた

 

デブやんけ!って言わないで

 

マックスで116kgあった僕からしたらだいぶ痩せた方だったのだがダイエットをやめた昨年2月から自由奔放な食生活を送ってきた僕は見事95kgまでリバウンドした

前述のカンピロバクターを経てこれなので年末は97kgぐらいあったにちがいない

 

これは良くない、そもそも痩せる過程でそれなりに筋肉も落ちているので95kgでも去年の痩せる過程のそれよりはるかに不健康なのは明らかだし、去年地味に体調を崩し倒して健康のありがたみを知った僕はやはり最大の不健康要因である肥満とさよならすべきだと思い立ったのだ、デブと呼ばれるようになってから干支が一回りした今になって

ということで頑張ってまずは夏までに80kg目指すから、痩せたら褒めてくれよな

 

今回はここまで、それでは✋

 

 

タナトフォビアの克服

お久しぶりです

と言ってもほとんどの人は僕のTwitterアカウント経由の来訪だろうし、そうでない人のほとんどとは初めましてだろう、どうぞよろしく

 

こうやって久々にブログを書くに至ったのはタイトルの通り僕がタナトフォビアを克服したからである

この記録を残すことで僕がインターネットに散らばる様々な人の言葉に力をもらったのと同様に恐怖に悩まされている人やいつか同じ悩みに陥るかもしれない自分を救うための力になればいいなと思った次第だ

ちなみにタナトフォビアなんていうとなんだかかっこいい感じだが要は死恐怖症である

 

今年の6月に入ってやたら死を意識するようになり7月の半ば頃には何もせずぼーっとするやいなや恐怖が押し寄せてくるようになった。その結果、布団に入れば恐怖が襲って来るため酒を飲んだり、朝までありったけ歩き回って疲れはて寝落ちすることでやっと睡眠にたどり着くということが増え、このままでは心身共にまずい方へ向かうのではと思い自分の恐怖に向き合うことを決めた

 

まず僕は恐怖の正体を暴くことにした

幼い頃に死とは何かを理解できず眠れない夜を過ごしたように未知はただ未知であるだけで恐怖だが、理解できる恐怖であれば対策のしようがあるからだ

前提として僕は死後の世界というものは信じておらず(正確に言えば、存在しないとは言い切れないがいまの"自分"という意識が陸続きでそこにいけることは物理的にあり得ないと考えている)意識と自我の消失、死ぬとその後を感知できないことを恐れているという実感があった

ではなぜ感知できないことが恐ろしいのか、酒を飲んで馬鹿話をすることも、好きな漫画の続きを読むことも、音楽を聴きながら散歩をすることも死んでしまえばかなわないからだ

つまるところ僕はまだやりたいことが溢れていて満足していないのだ

では仮に全ての欲が満たされて思い残すことが一つもなければ・・・どうやら死んでも良さそうだ

だがそんな日が来るだろうか、とても想像できないというより思い残すことが何もない状態になっては生きるのがつまらなさすぎて死を選ぶだろう

死ぬしか無い結果死を選ぶなら幸福だという人もいるかもしれないが僕はその境地には達していないし、たどり着いた人がいても死んでるから気持ちは知りようも無い

僕もたどり着けば死ぬだろう、だが今の時点ではわからない

 

こうして僕が至った結論はシンプルでありどこにだって転がっているありきたりなもの、「考えても無駄だからもう考えない」である

ふざけるな、と言われるかもしれないが考えても無駄だと思ったんだからしょうがない

大方の死への恐怖の克服について取り上げたブログはここで突然「〜の言葉で救われた」だの「生き方をかえる生活法」だのの有料ブロマガや謎の書籍紹介に入る

ふざけるな!その先が知りたいんじゃ!と思った(僕と同じ状況にある人なら画面の先であるある〜、となっていることだろう)しかし気付いたのだ、この先なんてものはなくずっと向き合うかすっぱり考えるのをやめるかしか選択肢はないのだ

ブロマガや書籍の多くに書かれているのはきっと前者としての姿勢の提示だろう

そして僕は後者を選んで楽しく生き抜いて死ぬその瞬間に「あぁこんなもんか」と恐怖を思い出すか、あるいは別の感情を抱くかその時の自分に委ねることにした

できれば人生を分けるような決断を迫られるときはひょっこり顔を出して正しい方へ背中を押してくれることに期待したい

そんなわけで今はとりあえず「あぁこんなもんか」に「まぁ悪くは無かったな」が加わるように生きて行くだけだ

 

この結論に至るまで2ヶ月以上かかった

正確にいえば結論に近いところまでは行くがなんだか納得できなくてふりだしに戻る、を繰り返す日々だった

繰り返し考えているうちに確信に変わっていった

 

ここからは余談だが、結論に至った時になぜタナトフォビアに陥ったかわかった

私は現在1留した大学4回生で学校もさほど忙しくなく卒業とともに同級生たちは周りから姿を消し遊ぶことも減り、かと言って趣味や勉学に打ち込むこともなく半ニートのような日々を送っている

そんな状況にあって端的にいうと生をあまり実感していなかったのだ

タナトフォビアはそんな僕に対しての僕自身からの「いつか終わりは来るんだぞ」という警鐘のようなものだったのだろう

ちなみにホリエモンこと堀江貴文氏は僕のようにだんだん考えなくなるということもなく少しでも気をぬくと死の恐怖が襲って来るから常に忙しくしているそうである、規格外だ

 

さらに余談になるが、宗教や思想に傾倒することは自分はないが全く悪いことだとは思わない

しかしながら死への恐怖があるからそれらにすがるわけで、向き合い方を変えるもしくは言い方は悪いが自分の認識を騙すものでしかないのに提供する側が解消を謳うのはちょっと弱みに付け込むやなやり口だなぁと思う

でも解消された錯覚は持っちゃうんだもんなぁ

むつかしい

 

というわけで以上が僕のタナトフォビア克服までの流れだ

全く別のアプローチとして人間という種として滅ぶときが終わりだ、とか、意識があることが絶対ではない灰になってもこの星の一部だ、とか視点を広げようとしてみたが僕には合ってなかった

個である自分としての生にどうしても拘っちゃう

 

これを読んでくれたみんなが死ぬ時までいい人生を送れますように

おわり

二次元のエッチな熟女

金曜日の昼からつい数時間前まで東京にいた

 

今は自宅のトイレにいる、再発した切れ痔の痛みに耐えウンコをひねり出しつつこのブログを書いている次第だ

 

僕が東京に行った主目的はPUNPEEというラッパーのライブを見ることだ(名前を知らない人も有名なところでは水曜日のダウンタウンのOPやBGMを手がけていたりするので知らぬ間に彼の音楽聞いたことがあるかもしれない)

 

ライブは最高だった、だがしかし別にライブの感想は書かないし旅行日記でもない、ここまではイントロだ、そんなことよりタイトル通り二次元の成人男性向けコンテンツにおける熟女について書きたい

 

あなたは「熟女」と聞いてどんな人物を思い浮かべるだろうか?美魔女タレント、近所のオバチャン、親類、上司、千差万別だろう

では「二次元の熟女」ならどうか、きっと肉付きのいい豊満美人、場合によっては申し訳程度のほうれい線がはいった姿を想像したのではないだろうか?

 

そう、そこなのだ

 

二次元の熟女、特に成人向けコンテンツにおけるそれは「二次元の熟女」という「熟女」とは異なる概念にあるものと言っていい、確かにニッチな層に向けた歳相応に見える創作物もあるだろうが特例だ、めんどくさいから考えん

 

なんでこんなことを言うのかというと、僕は三次元の熟女ではちんちんはピクリともしないが、いや嘘、溜まってれば40代くらいで美人なら全然ビンビンになるが、特に好きでもなんでもない一方で、二次元のエッチな熟女として描かれる体型は大大大大だいすこなのだw

ムチムチプリンや多少だらしない感じがどストライクな僕が二次元のエッチコンテンツの中でそれを求めると結果的にかなりの割合で熟女にいきあたる

確かに現実の熟女の皆々様も体型的には近い方がわりかし多いと思うのだが、体型的には理想に当てはまる方は顔にものすごく年齢を感じさせるし、お顔がお若い方は往々にしてスレンダーである(というか仮に両方兼ね備えたら俺はだいすこだけど年齢とかシチュとかでなく見た目として熟女好きな人にとっては抜けない若い人になるのでは🤔)

その点、二次元においては顔というより設定の方で年齢を感じさせる場合が多く、僕はエッチなら設定は割とどうでもいいというかなんでもムクムクするので母子でも未亡人でもなんでもこいである

実際僕の知る限りでも僕同様に二次元のエッチな熟女"は"好きというひとは少なくない、皆さんは二次元のエッチな熟女、好きですか?

 

僕は書きながら頭に思い浮かべてムラムラしてきたのでケツを拭いたらタカスギコウ先生の本で抜こうと思う

 

では。

 

 

 

玄関にナメクジ

がいた

 

昨日は久々につけたクーラーがよくなかったのか身体がかなりだるく昼に起きてから21時を回るまで一歩も外へ出ていなかったのだが、流石に腹が空いてきて、戸棚をのぞいてもコンビーフしかなかったので意を決してコンビニへゆかんと玄関を開け一歩踏み出したとき

 

目の前にナメクジがいた

 

なるほど、夕方まで降っていた雨が止み「ムワッ」という表現がふさわしい大気のコンディション、時刻は21時、彼らのフィーバータイムだ

 

僕はそっと玄関を閉じ、ソファに座ってスマホを開き新着動画にあった輝夜月ちゃんの絵描き歌の動画を再生した

今回の動画はここ最近のなかではパンチに欠ける内容だったが最後の挨拶がすこぶる可愛かった

 

結局コンビニには行かず住んでいるアパートの交差点挟んで対角にあるガストに初めてデリバリーを頼んだ、ほどなくして徒歩で持って来てくれた

ガストのデリバリーが商品受け渡し時に跪くことを知らなかったので驚いてしまった

 

 

お察しかと思うが僕はナメクジが苦手だ

この世の中で最も苦手な生物だ、肌に接触することがあればおそらく気絶する、本当にそれくらい苦手なのだ

しかしなぜ苦手なのか自分でも何故かわからない、別に苦いエピソードがあるわけではなく本能的に苦手なのだ

その見た目や農作物を荒らす食性から彼らに対して嫌悪感を抱く人たちはたしかに少なくは無いだろうが僕の苦手意識はその比ではない、前世の死因にナメクジが絡んでいるのは間違いないだろう、いまの僕ならナメクジが絡めばそれだけで死ぬが

 

だが恐るべきナメクジのお陰でガストデリバリーデビューできたし、意外とリーズナブルで外に出たくない時の出前の選択肢が増えたことには感謝だ

僕は彼らを見ると気力を奪われるし、彼らは知らず知らずに僕の行く手を阻めば水分を奪って余りある塩の山にうもれ生涯を閉じることになる

お互いになるべく関わらない人生を歩みたいものだ