やすみのブログ

オタク雑文

タナトフォビアの克服

お久しぶりです

と言ってもほとんどの人は僕のTwitterアカウント経由の来訪だろうし、そうでない人のほとんどとは初めましてだろう、どうぞよろしく

 

こうやって久々にブログを書くに至ったのはタイトルの通り僕がタナトフォビアを克服したからである

この記録を残すことで僕がインターネットに散らばる様々な人の言葉に力をもらったのと同様に恐怖に悩まされている人やいつか同じ悩みに陥るかもしれない自分を救うための力になればいいなと思った次第だ

ちなみにタナトフォビアなんていうとなんだかかっこいい感じだが要は死恐怖症である

 

今年の6月に入ってやたら死を意識するようになり7月の半ば頃には何もせずぼーっとするやいなや恐怖が押し寄せてくるようになった。その結果、布団に入れば恐怖が襲って来るため酒を飲んだり、朝までありったけ歩き回って疲れはて寝落ちすることでやっと睡眠にたどり着くということが増え、このままでは心身共にまずい方へ向かうのではと思い自分の恐怖に向き合うことを決めた

 

まず僕は恐怖の正体を暴くことにした

幼い頃に死とは何かを理解できず眠れない夜を過ごしたように未知はただ未知であるだけで恐怖だが、理解できる恐怖であれば対策のしようがあるからだ

前提として僕は死後の世界というものは信じておらず(正確に言えば、存在しないとは言い切れないがいまの"自分"という意識が陸続きでそこにいけることは物理的にあり得ないと考えている)意識と自我の消失、死ぬとその後を感知できないことを恐れているという実感があった

ではなぜ感知できないことが恐ろしいのか、酒を飲んで馬鹿話をすることも、好きな漫画の続きを読むことも、音楽を聴きながら散歩をすることも死んでしまえばかなわないからだ

つまるところ僕はまだやりたいことが溢れていて満足していないのだ

では仮に全ての欲が満たされて思い残すことが一つもなければ・・・どうやら死んでも良さそうだ

だがそんな日が来るだろうか、とても想像できないというより思い残すことが何もない状態になっては生きるのがつまらなさすぎて死を選ぶだろう

死ぬしか無い結果死を選ぶなら幸福だという人もいるかもしれないが僕はその境地には達していないし、たどり着いた人がいても死んでるから気持ちは知りようも無い

僕もたどり着けば死ぬだろう、だが今の時点ではわからない

 

こうして僕が至った結論はシンプルでありどこにだって転がっているありきたりなもの、「考えても無駄だからもう考えない」である

ふざけるな、と言われるかもしれないが考えても無駄だと思ったんだからしょうがない

大方の死への恐怖の克服について取り上げたブログはここで突然「〜の言葉で救われた」だの「生き方をかえる生活法」だのの有料ブロマガや謎の書籍紹介に入る

ふざけるな!その先が知りたいんじゃ!と思った(僕と同じ状況にある人なら画面の先であるある〜、となっていることだろう)しかし気付いたのだ、この先なんてものはなくずっと向き合うかすっぱり考えるのをやめるかしか選択肢はないのだ

ブロマガや書籍の多くに書かれているのはきっと前者としての姿勢の提示だろう

そして僕は後者を選んで楽しく生き抜いて死ぬその瞬間に「あぁこんなもんか」と恐怖を思い出すか、あるいは別の感情を抱くかその時の自分に委ねることにした

できれば人生を分けるような決断を迫られるときはひょっこり顔を出して正しい方へ背中を押してくれることに期待したい

そんなわけで今はとりあえず「あぁこんなもんか」に「まぁ悪くは無かったな」が加わるように生きて行くだけだ

 

この結論に至るまで2ヶ月以上かかった

正確にいえば結論に近いところまでは行くがなんだか納得できなくてふりだしに戻る、を繰り返す日々だった

繰り返し考えているうちに確信に変わっていった

 

ここからは余談だが、結論に至った時になぜタナトフォビアに陥ったかわかった

私は現在1留した大学4回生で学校もさほど忙しくなく卒業とともに同級生たちは周りから姿を消し遊ぶことも減り、かと言って趣味や勉学に打ち込むこともなく半ニートのような日々を送っている

そんな状況にあって端的にいうと生をあまり実感していなかったのだ

タナトフォビアはそんな僕に対しての僕自身からの「いつか終わりは来るんだぞ」という警鐘のようなものだったのだろう

ちなみにホリエモンこと堀江貴文氏は僕のようにだんだん考えなくなるということもなく少しでも気をぬくと死の恐怖が襲って来るから常に忙しくしているそうである、規格外だ

 

さらに余談になるが、宗教や思想に傾倒することは自分はないが全く悪いことだとは思わない

しかしながら死への恐怖があるからそれらにすがるわけで、向き合い方を変えるもしくは言い方は悪いが自分の認識を騙すものでしかないのに提供する側が解消を謳うのはちょっと弱みに付け込むやなやり口だなぁと思う

でも解消された錯覚は持っちゃうんだもんなぁ

むつかしい

 

というわけで以上が僕のタナトフォビア克服までの流れだ

全く別のアプローチとして人間という種として滅ぶときが終わりだ、とか、意識があることが絶対ではない灰になってもこの星の一部だ、とか視点を広げようとしてみたが僕には合ってなかった

個である自分としての生にどうしても拘っちゃう

 

これを読んでくれたみんなが死ぬ時までいい人生を送れますように

おわり